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セミナーで

最近所属している研究室でセミナーがありました。このセミナーは私が学生時代から行われているもので、自分の研究内容について完全英語+出席者全員は一回以上それぞれの発表に質問をしないといけないというものです。学生としては慣れない英語でプレゼンをするという二重苦が、重くハードルとしてのしかかってくるため、不評も不評のセミナーです。(事実私も苦手でした…)

ただそうした中でも、今回のセミナーで学生はなんとか結果を出そうと頑張ってくれました。その中でも二人、教える側としてとても嬉しく感慨深いことがあったので、少し日記という形でお話させてもらえればなと思います。

一人目はAさんです。Aさんは博士課程の学生で、私も指導に関わっています。Aさんが行っている研究テーマは、傍から見るとすこし複雑です。新規性のある技術や解析手法を用いているわけではなく、解釈の変更によってある推定法の高精度化ができるのではないか、という切り口の研究テーマです。個人的には今回のセミナーではAさんは発表で苦労するのではないかと見ていました。しっかりと筋道を立てて説明できないと、聞き手側が理解が途中でストップしてしまい、難しい研究と思われる可能性があると考えていたからです。

結果は想定とは全く違うものでした。端的に言うと、私自身初めて見るスタイルのプレゼンをAさんはやってのけたのです。とにかく粘り強い。発表では積み木を一つ一つ角を揃えて積んでいくかの如く、膨大な既往研究を整然と並べていて、Research Gap(既往研究で欠けている視点)を丁寧に洗い出していました。時間をかける必要はありますが、M1ぐらいの理解力があれば十分納得できる発表内容に仕上がっていました。

そして真骨頂は質疑応答でした。言い方を何度も変え、繰り返し丁寧に説明する。自分の知識を総動員し、「スライドのここから推察されることですが」などと出典をしっかり示しながら自分の論を補強できる。書くだけなら簡単なことなのですが、わかりやすい英語で、焦らず落ち着いて、これだけのことができるというのは、本当にすごい胆力と調査力をAさんは持っているのだなと、感服してしまったのです。

二人目はBさんです。Bさんは学部生で諸事情により、今年度は研究を行っていません。しかし、勉強や研究に対する意欲は高く、研究室のイベントなども時折顔を出していました。

今回、プレゼンの裏で試験的に導入したシステムが一つあります。Google Documentを共有リンクとしてオープンにしておき、匿名でテキストベースで質問できる自由記入欄を作りました。英語だと質問がしづらい人がいるかと思い、単に「表の中に自由に質問記入してね」と書いただけです。

リンクを作った当初はほとんど質問が来なかったのですが、ある時から(後でわかったのですが)Bさんが質問を入力するようになりました。その質問は至極当然なのですが、今のように研究を数年間続けてくると絶対出てこない質問でした。しかし初歩的ではある一方でとても核心をつく質問が多くあり、Aさんの質問に至る思考回路を遡って回答する必要がある、予想以上に難しいタスクとなってしまいました。

おそらくBさんだけでなく多くの人は、自分のする質問が周りのする人の質問と比べてレベルが高いのか低いのかを無意識的あるいは意識的に判断してしまうのかと思います。その場のレベルを読む能力というのは集団として議論の方向性を収束させるため、存外意味もあります。しかし、当の本人としてはなにかモヤモヤした状態で終わってしまい、収穫がないと判断してしまう場合が多いです。

そういう意味で、Bさんは二つの観点から得難い能力があるなあと思いました。一つは自分の質問を言語化できる能力です。もう一つは自分の質問を誰かに聞ける能力です。この二つは知識とは違って身につけるのに長い時間を要するものです。Bさんはそれを身につける貴重な機会が過去のどこかのタイミングであったんだという小さな気付きを得ることができました。

おそらく今後私は教育をする側の端くれとして生きていくことになると考えています。Aさんの胆力も、Bさんの質問の能力も、社会として必要とされる彼ら彼女らの強みになる部分です。正直なところ、私は「こういう知識がある」「こういう考え方が存在する」ということは伝えられても、そうした強みの種になる部分は見守っていくしかないんじゃないかと考えています。そうした自分にはない輝きを一つ一つ丁寧に見つけ出し、それらを強みとして彼ら彼女ら自身が認識して保っていけるように丁寧なやり取りを重ねていくのが、自らの職分を全うすることなのではと考えるようになりました。

ある意味では無力さを、別の意味では有り難い授かりものを預かったという恐れ多さを、今回のセミナーで感じることができました。セミナーの本意とは外れるかもしれませんが、こうしたいろいろな人の豊かさを感じることができるのは、大学教員のメリットの一つかもしれません。

カテゴリー: 日記

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